『「私はもちろん悟りたいと思います。でも、もしそうなったら、この世界はいったいどう変わるでしょう。」
「なぜあなたは、この世界のことを心配するのか。世界の心配は世界にまかせておけばいい。またあなたはいっこうに「もし自分が悟らなかったら、この世界はどうなるか」と心配していない。
もしあなたが悟らなかったら、この世界はいったいどうなるか。あなたは不幸を生み出す。意識的に不幸を生み出しているわけではなく、あなたこそが「不幸」なのだ。だから何をしようとも、あなたは不幸の種をまわりじゅうに播き散らす。
あなたの望みには意味がない。あなたの存在こそが重要だ。自分では他人を助けているつもりでも、実際のところはあなたは邪魔している。自分では愛しているつもりでも、実際には相手を殺しているかもしれない。自分では教えているつもりでも、実際にはそれによって相手を永久に無知にしているかもしれない。あなたの願い、あなたの望み、あなたの考えは重要ではない。あなたの在様(ありよう)こそが重要だ。
わたしは毎日そこらじゅうで目にしているが、人々は互いに愛し合いながら、互いに殺しあっている。自分では愛しているつもりでいるし、相手のために生きているつもりでいるし、自分なしでは、家族や恋人や子供や妻や夫が不幸になるだろうと思っている。
ところが実際は、その当人がいるからこそ不幸がある。そして、努力していろいろやってみるが、何をやってもおかしくなる。
それはあたりまえだ。自分がおかしいからだ。行為はさほど重要でない。行為の大本となる存在こそが重要だ。悟っていない人間は、この世界を地獄にするばかりだ。もうすでにそうなっている。これこそ、あなたをめぐる現実だ。あなたの触れるところ、どこでも地獄が出現する。
悟っていれば、何をしようとも、何を言おうとも、あるいはなにをしなくとも、その存在が助けとなって、人は開花し、幸福になり、至福に満ちる」』
(空の哲学/和尚/市民出版社p322-344から引用)