2011年3月27日日曜日
2011年3月26日土曜日
2011年3月25日金曜日
我は神なりに言寄せて
allah fu akbal
イブリーズ「お前も私も、“我は”と言ったのに、何故、お前には慈悲が、
私に呪いがもたらされたのか?」
ハッラージュ「お前は、“我は”と内にし、私は“我は”と遠ざけたからである」
innysyallah
イブリーズ「お前も私も、“我は”と言ったのに、何故、お前には慈悲が、
私に呪いがもたらされたのか?」
ハッラージュ「お前は、“我は”と内にし、私は“我は”と遠ざけたからである」
innysyallah
2011年3月23日水曜日
マーヤ
「マーヤになっている時、まず、“何がマーヤか?”と考える。
マーヤとマーヤではないものを識別して、原因を探るよね。
そうしてあれかこれかと考えていく中で、
“あ、あいつに今日あんなことを言われたからだ”と思い至る。
すると、そのマーヤが解けてスッキリする。
そうしたら今度は、“みこころ解き”に入る。
何故なら、意味もなくそんな経験を彼がさせる訳はないのだから。
すると例えば、“ああ、これは自分が善悪のジャッジをしていたと
いうことなんだな”と気付く。
すると、みこころが解けて、
それまでジャッジをして良くないと思っていたものも
“そうであってもいいじゃないか”と思えるようになる」W・I
マーヤとマーヤではないものを識別して、原因を探るよね。
そうしてあれかこれかと考えていく中で、
“あ、あいつに今日あんなことを言われたからだ”と思い至る。
すると、そのマーヤが解けてスッキリする。
そうしたら今度は、“みこころ解き”に入る。
何故なら、意味もなくそんな経験を彼がさせる訳はないのだから。
すると例えば、“ああ、これは自分が善悪のジャッジをしていたと
いうことなんだな”と気付く。
すると、みこころが解けて、
それまでジャッジをして良くないと思っていたものも
“そうであってもいいじゃないか”と思えるようになる」W・I
2011年3月22日火曜日
2011年3月17日木曜日
2011年3月10日木曜日
2011年3月9日水曜日
2011年3月4日金曜日
2011年3月1日火曜日
イスラエルとエチオピア
(※上の画像は『新しいシオンの聖マリア教会』にあるフレスコ画メネリク1世が、大天使ミカエルとガブリエルを伴い、『契約の箱』をエルサレムから持ち去る場面)
メネリク一世(エブナ・ラ・ハキム: Ebna la-Hakim, "Son of the Wise", 知恵の息子)
--エチオピア帝国の初代王。
古代イスラエル王ソロモンと、シバ王国(エチオピア、イエメンあたり)の女王マケダの息子。
マケダがメネリク1世を身篭った夜、ソロモン王は、太陽がエルサレムから
エチオピアに移動する夢を見たという。
メネリク一世は紀元前10世紀頃のエチオピアを統治した。
メネリク1世は、ソロモン王に謁見する為、エルサレムに来訪、
住民がソロモン王と間違える程、父親に酷似。
ソロモン王は、メネリク1世を3年間滞在させて帝王学を授ける。
エルサレムを去る際には、家臣の長男から優秀な1000人を付き従わす。
その1000人の中にいた高僧の長男が、大天使ミカエルから啓示を受け、
『契約の箱』(※)をエルサレムから持ち出す。
メネリク1世がこのことを知ったのは、エルサレムを遠く離れてから。
『契約の箱』が持出されたのを知ったソロモン王は、
早馬でエジプトまで追掛けるが、この夢を思い出し断念した。
紀元前5Cのアクスム王国、13Cのエチオピア帝国
いずれの王もメネリク1世の直系の子孫を名乗る。
エチオピア帝国では、国家事業としてエチオピア版『古事記』とも
いうべき『ケブラ・ナガスト』を作らせた。
これにより、エチオピアは「ソロモン王朝」として、紀元前10世紀から
3000年間と最も連続した皇室を持つことなる。
メネリク1世から続くエチオピア皇室は、225世代後の
ハイレ・セラシエ1世が軍部のクーデターで廃位となる1974年まで続いた。
(※契約の箱
神の指示を受けたモーセが選んだベツァルエルが、神の指示どおりの材料、サイズ、デザインで作られた箱。モーセの時代に、この中へマナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板が収納される。しかし、ソロモン王の時代には、十戒を記した石版以外には何も入っていなかったと伝えられている。)
(※ムハンマドが啓示を受けたのは大天使ガブリエル。)
(※ソロモン王の治世によりイスラエル王国は最盛期を築くも、晩年は
圧政と享楽。契約の箱の移動と関係か?)
(※ソロモンが晩年に書いたといわれていた「コヘレトの言葉」は、近年の研究では
バビロン捕囚からの解放後の、第二神殿時代(紀元前3~4C)に書かれたと推定
されている。
whereisbabylon
メネリク一世(エブナ・ラ・ハキム: Ebna la-Hakim, "Son of the Wise", 知恵の息子)
--エチオピア帝国の初代王。
古代イスラエル王ソロモンと、シバ王国(エチオピア、イエメンあたり)の女王マケダの息子。
マケダがメネリク1世を身篭った夜、ソロモン王は、太陽がエルサレムから
エチオピアに移動する夢を見たという。
メネリク一世は紀元前10世紀頃のエチオピアを統治した。
メネリク1世は、ソロモン王に謁見する為、エルサレムに来訪、
住民がソロモン王と間違える程、父親に酷似。
ソロモン王は、メネリク1世を3年間滞在させて帝王学を授ける。
エルサレムを去る際には、家臣の長男から優秀な1000人を付き従わす。
その1000人の中にいた高僧の長男が、大天使ミカエルから啓示を受け、
『契約の箱』(※)をエルサレムから持ち出す。
メネリク1世がこのことを知ったのは、エルサレムを遠く離れてから。
『契約の箱』が持出されたのを知ったソロモン王は、
早馬でエジプトまで追掛けるが、この夢を思い出し断念した。
紀元前5Cのアクスム王国、13Cのエチオピア帝国
いずれの王もメネリク1世の直系の子孫を名乗る。
エチオピア帝国では、国家事業としてエチオピア版『古事記』とも
いうべき『ケブラ・ナガスト』を作らせた。
これにより、エチオピアは「ソロモン王朝」として、紀元前10世紀から
3000年間と最も連続した皇室を持つことなる。
メネリク1世から続くエチオピア皇室は、225世代後の
ハイレ・セラシエ1世が軍部のクーデターで廃位となる1974年まで続いた。
(※契約の箱
神の指示を受けたモーセが選んだベツァルエルが、神の指示どおりの材料、サイズ、デザインで作られた箱。モーセの時代に、この中へマナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板が収納される。しかし、ソロモン王の時代には、十戒を記した石版以外には何も入っていなかったと伝えられている。)
(※ムハンマドが啓示を受けたのは大天使ガブリエル。)
(※ソロモン王の治世によりイスラエル王国は最盛期を築くも、晩年は
圧政と享楽。契約の箱の移動と関係か?)
(※ソロモンが晩年に書いたといわれていた「コヘレトの言葉」は、近年の研究では
バビロン捕囚からの解放後の、第二神殿時代(紀元前3~4C)に書かれたと推定
されている。
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